こころ、てくてく……表現するこころ

漫画家 海山かのんが、表現する人々のことなど、つぶやいたりマンガに描いたりします。

巡る色…赤い花のバトン

 

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今年はシクラメンが終わるのが早かったような気がする…

 

年によっては6月一杯ずっと咲いていることもあるし、こういうのってどういう加減なんでしょう。

 

ちょっと前までこんなふうに鮮やかに庭を盛り上げてくれていたのに、ほんの少しの間にはらはらと終わっていきました。

 

シクラメンが花を終えると庭から赤みがぐっと退いたように感じます。

 

華やかさはパンジーがまだがんばってくれていますが、くっきりと強い赤みはやはりシクラメンにかなわないですね。

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そろそろ赤みの後継として、ニチニチソウなど物色しにホームセンターか花屋さんに行こうと思いますが、いつもながら先延ばし癖でずるずるしてしまいます。

 

庭にはほかにも黄色、白、紫の花がそこここに咲いているのですが、私は赤みがなくなると何だか落ち着きません。

 

それは以前にどこかで、赤い花は魔を寄せ付けない、ということを耳にしたからだと思います。

 

体調が落ちている時は、赤い服を着ていると風邪など拾わない、と聞いたこともあります。

 

改めて調べてみると、赤い花はたしかに魔除けになるけれど、強い作用には影があって、お金や火の元にはよくよく注意とのこと。え、そうなんだ。

 

「赤字」って言ったりしますもんね。関係あるかは分かりませんが…。

 

いずれにしても、赤は気分を上げてくれる色ですね。

 

やはりぽちっと紅をさすように、赤い花を迎えたいと思います。

 

 

 

 

「太ぬうの」って何?•••長年の謎

 

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10年にいっぺんくらいかなぁ…

「太ぬうの、って何だったんだろう?」

という長年の疑問が浮かび上がるのです。

 

「太ぬうの」とは国語の教科書に載っていた戯曲『夕鶴』の中で子供達が歌う、

 

爺やんに着せる太ぬうの

婆やんに着せる太ぬうの

 

という一節のことばです。私の頃は学芸会でよく上演されていましたね。授業でも配役を決めて教室の前でかわるがわるやらされたりしましたっけ。

 

太ぬうの、の「ぬうの」は「縫うの」だよなあ、じゃあ「太」は何のことだろう。

 

授業ではそこまで突っ込んで取り上げた記憶はありません。なんとなくそのままになってしまったのです。

 

大人になってからもたま〜にその疑問が何かのきっかけで蘇りましたが、なにせ今のようにネットが普及していない頃です。

 

そんな、夕鶴の歌の一節の意味などというちょっとマイナーな疑問を調べるなら図書館に行くなどしなければならず、そこまでのモチベーションは保てずに忘れてしまっていました。

 

そして先日久しぶりにこの懸案事項を思い出して、

 

「そうだ、今こそ、太ぬうの、の意味を確かめる時だ!」と勇んで検索いたしました。

 

結果はなかなか意外なものでした。

 

「太ぬうの」は「太縫うの」ではありませんでした。

 

佐渡のことばで、「太布」(ふとぬの) だったのです。

 

太布とは立派な服という意味なのだそうです。

 

だから、「ふとぬの」を、歌のメロディに乗せて、「ふとぬ〜の♫」と伸ばしていたわけですね。

 

ふ〜ん、そうだったのか。

 

やっとすっきりしました。

 

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昨年秋に植えた玉ねぎはますます玉ねぎらしく育っているようです。嬉しいことです。

蝶々の旅立ち•••命の一巡り

 

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この連休に、我が家の冬越えのアゲハのさなぎが3頭、次々と羽化して飛び立って行きました。

 

昨年の夏の終わりに幼虫を虫かごに保護してさなぎになったものです。

 

さなぎになった順番をきちょうめんに守って巣立ちました。

 

 

うちのミカン科のヘンルーダの鉢植えにちっちゃな卵としてやってきてから、ヘンルーダの葉っぱだけで幼虫、さなぎと成長してゆき、ようやく羽化を迎えました。

 

これがヘンルーダ。地中海原産だそうです。

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この葉っぱの上で次々とたくさんの幼虫がかえって育ち、次々と鳥に食べられていきました。

 

その中で3頭だけが蝶になる日を迎え、飛び立つ姿を見て、しみじみと深い思いに満たされました。

 

だって、この蝶々の翅、からだ、触角の隅々までうちのヘンルーダからつくられてるんですよね。

 

あの茶色で小さなさなぎの中、どんなふうにこんな大きく複雑なからだを折り畳んでいたんだろう?

 

そして連絡取り合っているわけでもないだろうに、3頭ほぼ同時期に羽化を決めて出てきて…

 

不思議だなあ…

 

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3番目に羽化した子。ひときわ大きく動作もゆったりとしていて、長いこと私の手にとまったまま、はねを何度も開いたり閉じたりたしていました。

 

飛び立ってからもすぐ去ってゆかずに、しばらくゆるりと庭の上を旋回し、ふっと高く上昇して屋根を越え見えなくなりました。

 

 

もうじきヘンルーダにはまた新しい卵がやってきます。

庭で編まれる物語は

 

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うちの花壇のフリージアが良い香りを放っているので顔を近づけたら、水滴がいい感じでした。

 

この猫の額ほどの庭でも、毎日いろんな美しいことや興味ひかれることが無数におきているのでしょうが、目にできるのはほんとうにちょっぴりだけ。ほとんど気づかないままに過ぎていくのでしょう。

 

。。。自分の体の中でどのような事が生起しているのか、私たちはほとんど知らないままで、日々生活している、

 

そして例えば林に足を毎日のように踏み入れて林のことは全部分かった気になっていても、林の中で営まれている生態系を全て知ることはできない。。。

 

というようなお話をどこかで読んだのですが、

 

この小さい場所でもそれなりに生態系が回っているのでしょうか。

 

 

鉢植えの残土を隅に積んでおくと、忘れた頃に土が肥え生き返ったようになることがあります。

 

残った雑草の切れ端や、茎や根が腐って養分になったのでしょうか。微生物が黙々とお仕事していたと思われます。

 

 

ミカン科の鉢植えに今年ももうすぐ蝶がやってきますし、

 

蚊やコバエはすでに活動を開始しています。(もう蚊に刺されました!)

 

人間が土地の権利証を持ってここは自分のものと思い生活していても、蝶や蚊は何万年も前からここで生きているんでしょうね。だから毎年当然のような顔をして現れます。

 

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春と花と免許の書き換え•••5年分の年輪にドキッ

 

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春の黄色な花は、冬を抜けて徐々に暮らしのテンションをあげてまた暑い暑いと言いながら過ごす季節に移る先触れのようです。

 

先日免許の書き換えに行きました。

 

誕生日が春なので免許の書き換えに行く時は何がしか春の花が咲き誇っています。

 

今回免許センターに向かうバスから印象的に目に映ったのは河川敷を一面覆いつくす菜の花でした。

 

菜の花の写真は撮れなかったので、うちのビオラを冒頭に載せました。

 

これは役所のプランターに咲いていた黄色いお花。

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さて、私は幸いずっとゴールド免許で、5年ごとに更新しています。

 

免許証に載る写真は更新時に免許センターで撮ってもらえます。視力検査や講習などを経て、最後に新しい免許証を受け取るのですが、

 

5年も経っていると、写真には確実にそれとわかる年輪が刻まれています。

 

心の準備はするのですが、毎回ぎょっとしてしまいます。

 

しかしなぜ、ぎょっとするのでしょう?

 

いつも無意識にそんなに若い姿で自分をイメージしているのでしょうか。

 

改めて古いほうの免許証の写真を見ると、前回ぎょっとしたはずの5年前の姿が妙に若く見えることに驚きます。

 

5年後は今回びっくりしたこの新免許の写真が若く感じることになるでしょう。

 

ということは、私はいつも自分の実際の姿からマイナス5才くらいで自分をイメージしているということでしょうか。

 

いい気なものですね。

 

5年後も懲りずにまたびっくりするような気がします。

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昨年秋に植えた玉ねぎ。玉ねぎらしく生育しています。何とも心強いです。

 

ツルニチニチソウがこの春最強?

 

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今年はツルニチニチソウがびっしり花をつけています。ひとつひとつは小さめですが、いつもより数が多い。

 

遡ると去年もツルニチニチソウの記事を書いています。2月だったんだ! 大きめなのが、ポツ、ポツと咲いたような気がします。

 

今年はそんなに早くから咲いていなかったように思いますが、うーん、思い出せません。

 

いずれにしてもいつもはエネルギッシュに春を連れてくるのに、今年はなぜか元気のない水仙に代わって爆進中です。

私は、ムスカリがもっと幅をきかせるのではないか、と予想していたのですよ。

 

昨年たくさん葉をつけて元気もありましたからね。

 

ところが今年のムスカリ

「小っちゃ!」

かろうじて一本だけ咲きました。

どうしてなんだろうなあ。思うようにいかないものです。

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おそらく手の掛け方が間違っているんでしょうね。

 

ムスカリについてもう少し知らなければなりません。

 

昨年ムスカリのことも書いていました。

 

チューリップやアザレアのつぼみも膨らんできて、猫の額の我が家の花壇も、ポップコーンが弾けるみたいに一気に春が展開しそうです。

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ここ数年、春が走り出すと、心と体が置いてきぼりになるような心地がします。とぼとぼ後から付いていこうと思います。

 

桜はこの辺りではそろそろおわりそうです。

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『世間の学 2022VOL.6』に掲載されました

 

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「世間学会」の学会誌に私のエッセイマンガ、『世間ぐるぐる』シリーズの、第18、19、20話が掲載されました。

 

コロナ禍で実家に帰省しづらいことなどのあれこれをテーマに描いています。

 

『世間ぐるぐる』は、年に2回の世間学会に合わせて会場に印刷して持参し、希望する方にお持ちいただくというとってもアナログな発信を基本にしています。

 

20話ということは10年になるんですね。結構続いています。

 

この『世間の学2022VOL.6』は、8本の論文プラス私のマンガで構成されています。

 

 

下記の画像から購入画面にリンクしています。電子書籍と紙の本両方あります。

世間の学 2022 VOL.6: Journal of the Japanese Sekengaku

もし『世間学』って何?と関心を持たれた方、参考文献はたくさんありますが、やはり出発点はこの本です。

「世間」とは何か (講談社現代新書)