買い物しているスーパーがいくつかあって、そのうちのひとつの名前が、今朝出て来なかった。
私はそこそこの年齢だし、俳優の名前が出てこないことはふつうにあります。
けれどさすがに時々とはいえ長年利用しているスーパーの名前が出てこないのはどんなものでしょう。私もいよいよ始まっちゃったかな、とがっかりしました。
つらつら考えてみると、思い出せなくなる直前に、過去に住んだ複数の場所のスーパーについて、看板や雰囲気などあれこれ思い浮かべて比較したりと色々記憶の箱を出し入れしています。
ははあ、これはスーパーに関する記憶の場所が混線して変に繋がったり切れたりしているのでは、と思い至りました。
そう決まると、この、ふだんの日常では当たり前に出てくるひとつの言葉が思い出せない感覚をちょっと楽しんでみよう、という気になりました。
あえて調べたり、家族に聞いたりせず、自然に思い出すまで放置する、プロセスを観察してみることにします。
身近なことばのひとつがどうしても思い出せない感覚は何だか妙で、すぐそばにある別空間にすべりこんでしまったような、視界の一部がすっと覆われているような心地がします。
それが思いがけず新鮮で、しばらくこの感覚を抱えたまま過ごすのもいいなと思ったほどでしたが、
スーパーというものが日々思い浮かべるようなものであるからか、思いがその辺りをうろつくうちに、わりに早く何かのタイミングで、滲み出るように、カタカナでそのスーパーの名前が浮かび上がってきました。
ピースがぱちん、とはまるように元の世界が回復してほっとしました。が、途端にかき消えたあの妙な感覚が惜しい気もしました。