前日、3日目に参加してすごかった、と書きましたが、何が、というと1つには移動が過酷なことです。
蒸し蒸しして暑くって人でびっしりで、ちょびっとずつしか進まない。空気も薄い。自分のしたいことを遂げることの手前で膨大なエネルギーがいるのです。
特に東ホールへ向かう通路は酸素が足りない感じがしてたどり着いた時はぐったりでした。
それでも、どうだった?と聞かれれば、楽しかったよー! と答えると思うから、その苦労を補って余りある魅力を感じているのですね。
前日、3日目に参加してすごかった、と書きましたが、何が、というと1つには移動が過酷なことです。
蒸し蒸しして暑くって人でびっしりで、ちょびっとずつしか進まない。空気も薄い。自分のしたいことを遂げることの手前で膨大なエネルギーがいるのです。
特に東ホールへ向かう通路は酸素が足りない感じがしてたどり着いた時はぐったりでした。
それでも、どうだった?と聞かれれば、楽しかったよー! と答えると思うから、その苦労を補って余りある魅力を感じているのですね。
子供やが犯罪者になると、親は世の中に謝ることが多いと思います。有名人だと謝罪会見をしたりしますね。どうしてだろう、と思ったことはありますか?
あのような会見を、中国や韓国でもしない、欧米でもしないそうなのです。いったい何が違うの?
PTAの役員や町内会ってどうして強制力があるんだろう?
そのような疑問を世間学会では話し合います。学会なので研究発表もしっかりとあります。大学の先生、会社員、医師、僧侶、主婦、記者、教師、などなど、様々な立場の人々が集まっています。
世間学のことも少しずつここで書いていこうと思います。
私は半年に一回の集まりのたびに、短い世間漫画を置かせていただいています。今回は犯罪加害者家族のドキュメンタリーを観た感想をもとに描きました。
1ページ目はこんな感じです。
世間学会のホームページはこちらです。
今年初めてのアゲハの幼虫、ほんの小指の先みたいな写真を載せてから20日ほどでこのような展開に。
初物の羽化を無事見届けることができました。この間後続の幼虫たちは次々と鳥にやられて何とかもう1匹だけさなぎに漕ぎつけています。鳥も程良く太るのを日々待ち構えているようなのです。私としてもあまり早く閉じ込めるには忍びなくて、やはりしっかりある程度自然の中で、日も浴びて大きくなってからカゴに避難させよう、とタイミングを見ていると、鳥に先手を取られてしまうことも多いです。
飛び立って行く時の躍動感は、何度見てもいいものです。喜びそのもののように旋回していき、ふっと見えなくなりました。
虫にこころといえるものがあるでしょうか。幼虫時代の旺盛な食欲、さなぎの中での急激な組み替え、飛翔して次の世代をつくる成虫のひととき。細胞や神経の集中した活動の中で、わくわくするような、達成感のような、感覚の点滅があるのでしょうか。それは果たして、こころなのでしょうか。
わかるかな〜?
ぽちっと米粒2つくらいの大きさ。このところの雨に濡れてたたずんでいます。
庭にミカン科のヘンルーダという植物があるのですが、ここにアゲハが卵を産んでいくのです。ここから数匹のチョウチョが旅立っていきましたが、彼らのうちの誰かが卵を産んでくれたのかも、と思うことにします。
ところで、蝶の正式な数え方は一頭、二頭である、ということに違和感があってもやもやしていました。それで調べてみたら、そのいきさつには色々事情があり、普通の生活で蝶を数えるには1匹2匹でさしつかえないようですね。