こころ、てくてく……表現するこころ

漫画家 海山かのんが、表現する人々のことなど、つぶやいたりマンガに描いたりします。

アゲハよふたたび…ヘンルーダを迎える

注意…あとから幼虫写真出ます。

 

アゲハが卵を産むミカン科のヘンルーダというハーブを昨年夏枯らしてしまい、アゲハが来なくなった、というブログを以前書きました。

 

今年の春にヘンルーダの苗をネットで見つけ、反射的に買いました。またアゲハが来るといいなあと思って。

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そうしたらちゃあんと来ましたよ。

ほらね。

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アゲハはどんなふうにミカン科の植物を感知しているのでしょうか。何か快い感触があるに違いありません。

 

現在さなぎが3つあります。2つは虫かご、1つは何とかごを脱走して、ベンチの下側でさなぎになっていました。

 

庭に蝶の育つプロセスがあると何となくほんのりと楽しいです。花育てより成功率高いです。これは子供の頃の兄仕込みですね。

 

梅雨どきの読書

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車の中で本を読む。

空いてる駐車場で、エンジンは切って。

もちろん車の中の温度がぐんぐん上がる時はできません。

秋冬か、梅雨どき。

雨の音を聴きながらね、家と違って雨音が近い。

コーヒーとちょっとつまむものを片手に

図書館の返却期限の迫った本を集中して読む。

 

駐車場で撮った写真をibisPaint で遊んでみたらちょっと面白く出来ました。

36色の水彩パレット

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ここから何かが始まり広がってゆくような、わくわくする思い、初めてサクラとかぺんてるの絵の具を入学の為に買ってもらったときのような華やいだ気持ちに捕まって衝動買いしました。36色の不透明水彩のパレットです。ドイツ製で、子供が使うものらしい。

 

目にきもち良く染みてきて、ついつい眺めてしまいます。あー、この色を塗って、何か描きたい。

 

しかしナマの絵の具には、水に溶く、紙に塗る、乾く、印刷する、空気や光に触れて時間の経過、それらのいちいちに色味を変化させる、不安定さがあります。

 

印刷と深く関わることの多い、マンガなどでは、その変化の要素の中でも、印刷された時の落差を嫌い、カラーインク、コピックなどいろんな画材が導入されたと思います。私も揃えましたよ。貢いだなあ!

 

それが殆どの作品をデジタルで仕上げるようになり、事態はさらに一変。ペイントソフトの素材で、いろんな趣向を凝らしたカラーパレットが大量に手に入るようになります。カラーサークルでは自在に好みの色を無限に作れて、劣化の心配もなく、手や机が汚れることもありません。印刷のさいには配慮しなくてはならない色味の違いがありますけどね。

 

それでも時々画材の原点のところにふらりと戻ってくるのはどうしてなのかな、と考えます。顔料から放たれる色味を目で直接受け止めたり、絵の具を水で溶くときの感触、紙に筆で塗る手触り、それらをかけがえなく思う気持ちゆえでしょうか。

 

それでは、そのような感触がデジタルなバーチャル空間で忠実に再現されたらどうなるでしょう。そんな時代が来るのでしょうか。そうなっても生の顔料に触れることを私は欲するでしょうか? 

 

今日の素材遊び。アイビスペイントで。

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創り手としての保阪嘉内と宮沢賢治

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宮沢賢治の長年の心友、保阪嘉内について書かれた様々な文を読み、まず浮かび上がってきたイメージをことばにすると「 臆することなく自分を押し出す人 」です。

 

仲間と上演する劇の脚本を一気に書き上げ、ちゃっかり自分にいい役を設定したり、写真に目立ったポーズで写っていたり、権威への反抗を行動に出し文にも書き、ついに放校処分に至ってしまった。

 

そうしたことを踏まえて、嘉内のつくるものには激しく押しの強い、表現主義の作品によくあるような荒っぽさがあるのかと想像していました。

 

数年前に、私が賢治の漫画を掲載させて頂いている、MIZUTAMAのメンバーと一緒に、嘉内の出身地韮崎市の『アザリア記念会』を取材させていただきました。

 

そこで、大切に保管されている嘉内の大量のスケッチを見せていただく機会を得ました。嘉内のスケッチから受けた印象は、緻密で手抜きのない、地に足の着いた、対象への誠実な眼差しでした。

 

題材は多岐にわたり、幅広い関心が伺え、色使いはバランスよく豊かで、ここから多様な表現に発展していく萌芽を感じさせます。

 

賢治は、嘉内のよく耕された広い感性の沃土のふところで、まどろんでいたものを思い切り表現しはじめたのかもしれません。

 

短歌をつくっていたとはいえなかなか発表はしなかった賢治ですが、どしどし作品を人前に出していく嘉内に感化されたということもあるでしょう。嘉内の世界から得たインスピレーションを作品に生かしたのでは、という考証もありますね。

 

嘉内も、独特で深く豊かな賢治の表現を、面白がって受け止め、心から賞賛したのだと思います。

 

そんな2人の交流をイメージして描いてみました。右が賢治、左が嘉内、のつもりです。

 

2人とも生涯にわたり創作を続け、賢治は死後広く認知されていくことになります。

 

様々な事情で、嘉内の作品は世に出ることが少なかったのです。賢治、嘉内、資質の違う巨きな才能の交歓をもっと堪能したかったものだ、と思います。

 

嘉内が出版しようとしていた歌稿が不運にも失われてしまったこと、そして嘉内の賢治宛書簡がゆくえ知れずになったことが本当に惜しまれます。

 

嘉内のスケッチなども掲載されている、アザリア記念会のサイトはこちらです。

http://www.azarea-kanai.com/

 

 

想い出…初めてのデジタル絵

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10年くらい前かな?

イラストスタジオというペイントソフトを電機店で購入したところ、favo という板タブをおまけにつけてくれました。

 

もうこれでパソコン上で自由に絵やマンガが描けるのかな、と思い、とにかくやってみるも何がなんだかわからない。

 

スタイラスペンの先を画面に付けていないのに、動きに連れて線が描かれてしまう。水彩みたいに薄く塗りたいのにどうやればいいの?

かと思うとちょっと手のひらが画面に着くと、画面が豆粒のようにちっちゃくなったり、どこかにすっ飛んでしまったり。

 

もう自分には、パソコンで絵を描くのは無理、と絶望で一杯になりました。パームリジェクションとかブラシツールなんてこと、微塵も知らなかった頃のことです。今なら笑い話ですけれど。

 

しばらくして、Intuos4という板タブを購入したところ上記の不具合があっさり解決したのには呆れてしまいました。ほとんど機種の問題だったのです。ソフト購入時におまけに付けてくれたfavo は、もう古くて売り物にならなくなったので、無料で付けてくれたのかもしれません。

 

この絵がfavoを使った記念すべき、初デジタル絵です。ペンの動きに線がいちいち描けてしまっているのが見えますね。微笑ましい、想い出深い絵です。

ネットの色と印刷の色…CMYKで試行錯誤

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ネット上で描いたイラストの色、特にこの絵の背景のようなマゼンタ、服の紫、影のきれいなブルーグリーンなどは、紙に印刷された時にくすんだ色になり、落差に驚くことになります。ネット上で出せる色の幅は印刷で出せるそれより広いのです。

 

そこで私の利用している漫画制作ソフトのクリスタでは、CMYK スライダーというものを使用し、印刷された色を予測しながら塗っていく、という機能があるのですが、それを使うとこんな感じになりました。

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比べるとくすみを感じますが、こちら単体で見ればこれはこれで悪くないと思えます。最終的に印刷されたものの色味も、また微妙に違ってしまうことがあるらしいですけれど…

 

ちなみにこの絵は、2歳前後ころの私の子供。色塗り実験のためにぱっと描ける絵を、と思った時に彼が隣にいて何か喋っていたので、ふと小さいころを思い出して描きました。

 

 

ジャムを作りました。砂糖は目分量。

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ボヘミアンラプソディー…クイーンとThe Whoのライブエイド’85

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万年筆で色々描くことをこの頃は楽しんでいるのです。先日クイーンの映画を観た余韻で、買い物のメモ紙に万年筆でちょっとごちゃごちゃと落書きしたら、けっこう面白くかわいい感じにかけたので、お絵かきソフトに取り込んで髪の毛だけちょっぴり色入れてみました。

 

左、ジョン ・ディーコン氏を特にかわいく描いているのは私が贔屓しているからです。彼のキャラクターは、映画の中でもちょっと脱力した良い味を出していました。彼作の『地獄へ道連れ』はお気にいりの一曲。

 

映画では、フレディの突出した存在感に改めて感じ入ったのですが、他の3人もバンドの看板となるレベルのヒット曲を創っているのです。4人ともに能力が高く、インテリ度も高いというのが私の抱くクイーンの印象です。

 

この1985年のライブエイドのとき、クイーンはまだ4人欠けることなくフルメンバーで、語り継がれることになるライブを炸裂させていました。

 

いっぽう、私の贔屓バンド、The Whoは、ドラムのキースムーンを亡くしたのちの解散を経て、やっと再びThe Whoとして始動していました。85年のライブエイドに関しては、映画を観るまで、クイーンの演奏がどんなだったか知らず、主にThe Whoのものを観ていたのです。フーは最盛期を過ぎて、試行錯誤してるなぁというのが正直な感想でした。

 

The Whoは、私の感じですが、乱暴な言い方をすると、ドラムの人がフレディマーキュリーのような存在感を持っていて、後ろからガーっと曲の質感が立ち上がってくるような特徴があります。

 

リズム隊が、暴走するだんじり祭の山車のように突っ走り、フロントの二人がそこにガンガン乗っていく、それがたまらない魅力でした。

 

ドラムのキースムーンは、突出した存在感の持ち主にありがちな生き急ぎっぷりであっけなく30過ぎで逝去。死への衝動と表裏一体だったのでしょうか、あの演奏は。普通がいくら望んでも得られないリズムの才能を、もっと私たちのために体を大切にして、贈り続けて欲しかった。

 

キースの中年様式、老年様式も観たかったと、切に思います。

 

 

それはさておき、85年のライブエイドでのクイーンは本当に凄い盛り上がりです。フレディのパフォーマンスもキレキレ。素晴らしい!

 

ライブエイド85 年のクイーンの動画はこちら。