こころ、てくてく……表現するこころ

漫画家 海山かのんが こころのこと 表現のことなどつぶやきます。

思いがけない焼肉……ステイホームの風景

 

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子供が小学生くらいの頃、毎年5月に一回、息子たちを連れて市の公園でBBQをしていました。彼らに火を扱う経験をしてほしかったのです。

 

やがて中学、高校と進み、彼らの休日に親との予定が優先されることは無くなっていきました。まあ当たり前ですね。5月のBBQ は、夫婦のみでちんまり、炭火で美味しく色々なものを食す日、として毎年継続していました。

 

そして今年です。新型コロナにより公園のBBQ 会場は閉鎖となり、夫婦の恒例行事は、とりあえずホットプレートの焼肉を家で、ということになりました。

 

そこに、友達や同僚との予定が全滅してしまった、とっくに成人済みの息子たちが、親の用意する肉を狙って合流してきたのです。

 

ひげ面の息子たちとホットプレートを囲みながら、何と珍しいこと、コロナのことがなければこんな風景は滅多に見られるもんじゃないね、と、記念の写真を撮ったのでした。

引きこもってもいいんだなぁ。。。?…ステイホームへの思い

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「お家に居ましょう。」と大っぴらに推奨されたのって、産前産後を例外として、はじめてかもしれない。

 

元々、本を読んだり、手仕事をしたりという、家であれこれすることが好きだったし、選んだ「漫画家」という方向も、家に篭りがちになる道筋だと思います。

 

それが何となく後ろめたいような感じを無意識に抱いていて、一生懸命、人と運動する機会を定期的にもうけたり、美術館やイベントに出かけたり、ちょっと駅前に出てみたりとか、バランスを取るようにしていたようです。

 

本ばっかり読んでてもダメなんだよ、という子供の時の、周囲の声のすり込みもあったのでしょう。

 

で、こんなふうに、おこもりを公に認められると、えっ、と一瞬真っ白になったのち、けっこう頑張って天秤を保っていたことに改めて気づきました。

 

色んな、外でやる事をしなくても良い日が長くできたら、積読のあんなこんな本読みたい、やり切れなかったゲームもしたい…と思っていたのに、こんなチャンス?になかなか集中できない。

 

気持ちのどこかで、一旦引きこもりはじめたら、どどーっと際限なくお篭り空間を濃くしてしまいそうで、ためらいがあるのかもしれません。

 

画像はうちのパンジー

実は虫に食べられてボロボロなところが多くなってしまったのですが、きれいなところを選んでなんとか作成しました。

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夢のパフェ……福を呼ぶ文房具2

 

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新緑のなか、久しぶりに会った友達とランチをして、話し足りずにカフェに流れ、向かい合ってパフェをつつきながら他愛のないことをやり取りする…

 

そんなシーンがそこかしこにみられる春を迎え、ゴールデンウィークが来て、そして初夏、と、いつものように暦が進むのだと…

 

そのような華やぎが書き留められるように、当然そのような春が来る前提で、そういう願いを込めて企画されたのではないか、このノートを見るとそう思います。

 

もちろんお家で、このようなパフェを作り、オンラインお茶会を友人とする事は可能ではあります。でもやはり、春の盛りや初夏の緑や花影から流れ出す空気感も欲しいところです。

 

私がこのノートを買った時、コロナの影は迫ってはいましたが、まさかここまでになるとは想像していませんでした。このノートがディスプレイされていたお店も、SCの営業自粛に伴い閉まったままです。

 

このノートに何を綴ろうかと思いをめぐらしながら、こんなパフェを人々と囲む日を夢見ます。

フリージアの残響

 

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フリージアを一輪、一輪、覗き込むと、微妙にそれぞれ違うように感じます。その中でもひときわ華やいでいた一輪を記念に撮り、こころの印象に近く、加工しました。

 

でも、これを書いているこの時、もうフリージアはすっかり花を終わり、となりの、やはり花を終わらせた水仙の葉たちと、仲良く天に向けて葉を突き立てています。

 

来年もおそらく、状況によって数や勢いは違うでしょうが、フリージアはこの花壇に戻ってきてくれて、甘い香りを運んできてくれるでしょう。

 

しかしこの一輪と全く同じ咲き方をしたフリージアは二度とないのでしょう。

ヨゲンノトリとペストの防護服

 

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アマビエ様に続く疫病の守護者シリーズ?として今話題らしい「ヨゲンノトリ」を見て、17世紀のペストに立ち向かう医者の防護服姿を思い起こしたので並べて描いてみました。

 

ヨゲンノトリは江戸時代石川県に現れ、疫病(コレラ?)の流行を予言し、「私の姿を朝夕に拝めば難を避けることができる」と告げたそうです。

 

描きながら黒いほうはどうして尻尾がないんだろう?と思いましたが、よくよく確認するとこれは一羽に首が2つあるトリだったんですね。早とちりでした。でもこんなふうに分身できたとしたら、救う力も2倍あるかもと思い、このままにしました。

 

ペストを治療した医者のマスクのクチバシのような所には、抗菌作用のあるハーブが詰められ、目の所にはガラスを嵌めて感染を防いだようです。バクテリアやウイルスの存在は夢にも知られていなかった頃、この姿でどれだけ防げたのでしょうか。

いちめんのフリージア

 

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いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

って詩でもないけれど、今年はフリージアがなんでかどっさり咲いたのです。

 

うちの花壇では、毎年そうたくさんではないけど、律儀にちゃんと春を彩ってくれるいいやつなんですが、去年からの高温がフリージアには心地良かったのか、外から帰ってきて門を開けたら、香りに取り巻かれるくらいにたくさん花を付けました。

 

いつもの年はほんの3、4本くらいで、顔をわざわざ近づけて、どれどれと独特な甘い香りを確認するくらいの花数ですから、今年は大変な存在感です。

 

それでもいつもの年なら何か多いね、くらいで通り過ぎていたところですが、このごろはろくに外出できず、花壇をしげしげと眺める時間が増え、花たちのことがこころを大きく占めるようになりました。

 

写真を撮り、画像を調整して、変化を楽しむ。

こころと体をなんとか動かす日々です。

思いがけないチューリップ

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今年の春、うちの花壇やプランターに、チューリップは咲かない予定でした。

 

それが、我が家の花壇史?最高といってもいいような、堂々たるチューリップが一輪花開いたのです。

 

私は、「咲き終わったチューリップの球根を育てて、次の春に咲かせる」ことを何度か失敗してから、毎年すでに芽の出た状態のものを買うことにし、前年度のは処分するようにしていました。

 

それが今回、新しい苗を購入しそびれて、今度の春はチューリップ無しだとあきらめていたところ、

 

花壇の、いつも植木鉢の残土を捨てる場所からチューリップらしき芽がひとつ芽生えて、まあ花は付かないだろうと思っていたらすくすく伸びて、やあ何色なんだろうと驚くうちに、見事な濃いピンクの花びらを開けたのです。

 

何せ残土に捨てたニンニクの切れはしのような球根です。どうやって生き延び、ろくに栄養のない土をどうやり繰りして咲いたのだろうと、しみじみ嬉しく、感じ入ったことでした。

 

たしかフランスのニュースで、この新型コロナ関連の事情で出荷できなくなった広大な畑一面のチューリップが重機で掘り起こされ廃棄されるシーンがありました。

 

丁寧に手をかけられて最高の状態で蕾をつけ、この春望まれてあちこちを彩るはずだったチューリップ達の運命を思い、これまた何ともいえない思いに打たれたことです。

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