江戸時代、疫病から人を守るというアマビエという神様は、出現時に、「私の姿を描き、人々に見せなさい。」と告げたそうですが、そのとき目の前で対応した人物を「コイツは絵心あるぞ。」と見てそう言ったのではないでしょうか。
その人物が描き広めたであろう瓦版のアマビエのチャーミングさを見て、私はそんなふうに思います。現在おまんじゅうなどいろいろな商品のキャラクターの元になっているのもうなずけます。
ならば、宮沢賢治の前に現れたとしたら、「私の物語を、詩を書いて人々に見せなさい。」と告げたかもしれません。
そして賢治はアマビエの守護でお話を書き、彼の病も癒え、末長く作品を……とはならず、彼は晩年、東北砕石工場の技師として、猛烈な営業活動の途上、汽車で冷気にあたり病勢が増し、二度と活動して回れるような身体に戻ることなく、2年後に亡くなります。
いつも賢治はそのように、己の弱い体に盛りきれないほどの信念を優先させて、結果命を縮めてしまったように見えます。
彼の、唯一無二といえる手ざわりと輝きを持った創作空間を、私たちに残してくれることを最優先にしても良かったのに、そのためにぐっと堪えて、養生してくれていたら、と、つい、考えてしまう。
もちろん、賢治は彼の信仰の世界観に、命がけでコミットしていたのであって、彼の信念や行動と作品はひとつで、切り離せないであろうことは、承知しているつもりです。
だからこそ賢治は、雨にも風にも負けない丈夫な身体を、信念を盛り切れるような身体を望んで、詩にも記したのでしょう。
それでも私は思ってしまう。もっと、見たかったなあ、と。
今の人でいえば、藤井風さんのように、生まれ育った土地の空気やことばと、己の培われた能力たちがまろび合って、あふれ出すような、そんな独特の手ざわりをもった創作空間を、私は果てなくもっと、見たかった、老年様式まで読みたかった。
というのが、研究者でもない、貪欲な1ファンの、詮ない夢想です。