こころ、てくてく……表現するこころ

漫画家 海山かのんが、表現する人々のことなど、つぶやいたりマンガに描いたりします。

メルセデスとアネット・・・ゲームの中の女子

 

 

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何そんなに喋ることがあるの?

ってぐらいに以前は学校帰りに立ち話をしている中高生を見たものですが、

 

コロナ禍の中、おそらく学校や家族から、寄り道や友達と用もないのにたむろするなど諫められているでしょうから、学生のそんな姿はゲームの中でしかみられません。

 

このイラストの2人、メルセデスとアネットは、ファイアーエムブレムというゲームシリーズの、『風花雪月』という中に出てくる少女で、学校の同窓生で、親友という設定です。

 

そんな女子たちが帰宅路でつるむ姿を現実でめっきり見なくなった、という事と、去年に続き今年も紫陽花寺に行ってないな、ということ、そして庭のアゲハの幼虫、たくさん育っていて、成長を楽しみにしていたのに鳥に一網打尽にされた、というがっかり感と、私の個人的な3つのロスを込めて描いてみました。

 

このゲームシリーズは大昔『烈火の剣』というのを、まだ幼い子供達が「やらして、やらして!」とまつわるのをかわしながら遊んで以来久しぶりに取り組みました。

 

私がゲームをする時間を取れなくなっていくのを尻目に、子供達は『烈火の剣』以降のファイアーエムブレムを制覇し続けました。

 

年月を経てコロナ疲れの私に、成人した子供が勧めてくれたのが『風花雪月』です。

 

久々に参戦した本格的なゲーム、技術の進歩に驚くばかりです。

 

人物の動きのなめらかなこと、呼吸の動きまで自然です。それぞれのキャラクターらしい魅力的な動き、仕草が研究されていて、カッコいいなあ、かわいいなあ、と画面に向かって呟くことしきりです。

 

キャラクターの背景や関係性が作り込んであり、つい思い入れが深くなってしまいます。

 

そんな風にキャラクターを楽しみつつも、「正義というものは相対的である」などの重いテーマが並行してのしかかってくるので、所々思わず、うーんと考え込んでしまうことが多々あり、

 

コロナ疲れが癒やされるかどうかはむずかしいところです。楽しんでいますけどね。

 

コロナでまだ帰れん!•••世間ぐるぐる第19話

 

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『世間学会』という年に2回の集まりがあります。

 

これはそこで毎回置かせていただいているエッセイ漫画のシリーズです。

 

今回は4ページの作品を描きました。

 

冒頭の画像は1ページ目です。画像の下のリンクから4ページ目までお読みいただけます。今回私の使用しているペイントソフト、クリップスタジオのシェア機能を使ってみました。

 

 

まさに今日が世間学会の開催日です。

かなりの人がリモート参加になるので漫画も現地に印刷して持参するのと同時に、ネットにもアップすることにいたしました。

 

この作品は、昨年アップした作品の続きのようになっていますので、よろしければこちらもご覧下さい。

四コマ『アマビエ様のイメージ』…アマビエ様四コマ6

 

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コロナのドームに閉じ込められたような日々が続いていますが、もうすぐ夏至なんですね。

 

アマビエ様のイメージがすっかり私の世界に定着したのか、時々四コマとしていらっしゃるようになりました。

 

今回のは前回の四コマの続きのようになりました。

 

アマビエ様のことを調べると、妖怪、と言われたり、神様と紹介されていたりします。

 

 

アマビエ様は天使のような雲の上の存在ではなく、善も悪も合わせ持っている、人に近い存在なのかな、という感じで描いてみています。

四コマ「アマビエ様の数え方」

 

 

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アマビエ様四コマ、5本目になります。不定期連載というのでもないのですが、まだまだアマビエ様とのお付き合いは続きそうなので、もう少し描かせていただくかもしれません。

 

6月に入ってそろそろ蝶の姿をあちこちで見かけるようになりました。

 

私は、蝶は一羽とか一匹とかその時々の気分で数えていたように思いますが、正式には一頭、2頭なのだそうです。

 

アマビエ様は何と数えるのだろう? 1人、2人、それとも一体、二体でしょうか?

 

一応神様ですから、失礼があってはと調べますと、どうやら日本の神様は、1柱、2柱と数えるようです。

 

古事記にはすでに柱の記述があるそうですが、神様を数える、というのはかなり特殊な文化なのだとか。このへんを掘り下げるとかなり面白そうです。

赤とピンクの思い出

 

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ふと赤とピンクをえいやっと散りばめた絵を描きたくなり、殴り書きのように作りました。

 

赤とピンクというと思い出すエピソードがあるのです。

 

ほんとーに大昔、私が母と一緒に幼稚園の入園前の面接に行ったときのこと、

 

面接の順番を待つ部屋の真ん中にテーブルがあって、色とりどりのおはじきが置かれていました。

 

在園生なのか、同じ面接待ちの子供か分かりませんが、2人の女の子がおはじきを紐に通してペンダントのようなものをせっせとこしらえています。

 

1人の子が、赤とピンクのおはじきを交互に紐に通してずいぶん長く繋げて、

 

「赤とピンクのををこうすると、きれいでしょ。」と言いました。

 

ちょうどこんな雰囲気。

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それを見て小さな私は、何か複雑な気持ちになっていました。当時の私はうまく言葉にできませんでしたが、今の私が通訳すると、

 

「なんだかくどいなあ」

「趣味悪くないかな」

 

赤やピンクは過剰にならないように効かせるほうが良い、と、どこの大人から仕入れたのか、当時の私はそんなふうに思っていたんですね。

 

そのわりには、私は今に至るまで、けっこう赤やピンクを大胆に取り入れて過ごしてきたのですが、気持ちのどこかに、何だかこれ、過剰かもなあ、と突っ込みを入れている自分もいたりしたのです。

 

それが何だかふと、心ゆくまで赤とピンクに、子供っぽく浸かりたくなり、冒頭の絵になりました。

 

あの面接の日、私も赤とピンクのおはじきを紐に思うさま繋げて、「きれい〜」と言いたかったのかもしれません。

 

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赤とピンクの判子を予定ノートに好きなだけ押してみました。コロナ禍の中、ノートの中でお祭りです。

 

さあ咲くぞ!

 

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まるで炎のよう。

命の勢いに思わず見とれてしまった一枚です。

 

でもこれ、私全然気づいていなかったのですよ。

 

冬を超えて今年も咲いてくれた花が嬉しく、こんな写真を撮ったのですが、

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私は手前の花を拡大して加工しようかな、と適当に写していました。

 

あとでよくよく見ると、後ろのほうの開きかけた一輪が、何ともいい勢いではじっこに写っていたのに気づいたのです。

 

そこで冒頭の一枚になりました。

 

この花の名前は忘れてしまいました。買ったときの名札を鉢に刺してあったはずですが、いつのまにか無くなってしまったようです。

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今年の連休 去年の連休

 

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今年の春は冬越えのアゲハのさなぎが何とか蝶になって巣立っていきました。

 

私はうちのミカン科のハーブにつくアゲハの幼虫を、鳥が食べる前にいくつか籠に避難させて蝶になるのを見るのが楽しみなのですが、

 

昨年はすべて寄生虫にやられていて、羽化することはなかったのです。

 

ですから今年無事に飛び立っていくのを見届けたことは幸いでした。明るい兆しのように思いました。

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そして、子供が小さい頃は一緒にしていたGWのBQを、大きくなってからは長年夫婦だけだったのが、昨年、コロナで暇していた子供と久しぶりに囲んだ、という記事を一年前に上げました。

 

こんなことはコロナという有事だからで、滅多にあるものではない、と書いた記憶がありますが、

 

今年も息子はやはり暇になってしまい、肉を食べに参加してきました。

 

思いがけなく親には嬉しいことですが、若い人には何とも気の毒なご時世です。

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この連休はあまり私も出かけずに、蝶の羽化の嬉しさを元に素材遊びなどしていました。

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