梅の実に塩をまぶしておくだけなのに。
ぐんぐん梅酢が上がってきて、容器のなかに積み上げた梅が浸かっていく過程は何度みても飽きません。
こんなふうにほんの2、3日で、ほぼ全体が浸かってしまいます。
毎年、この梅雨入りのころ、梅を塩で漬けて梅酢につかるプロセスを観察するのですが、なにかこう、いつまでも、ずっと見ていたい思いになります。
この充実感はどこからくるのかな、と考えてみると、それは梅、という、人が作り出したのでない、この地球の自然が作り出したものに対峙している、ということに関係していると思い至ります。( もちろん人による改良はありますが)
そして、その自然の賜物に、長年伝えられてきた人の知恵で手を加えて変化させ、食の基礎になるものに育てる、そのプロセスに参加しているという思いが、しみじみとしたうれしさに繋がっているのではないかと思うのです。
6月は例年なら何かと忙しく、梅仕事も、わさわさと通り過ぎるついでに、ああ、もう梅酢がこんなに、なんて言いながら、やっつけでこなしてしまいますが、今年はコロナの事情で、否応なく、じっと梅の変化を見つめることになりました。
梅たちが梅干しになって食卓に上がるころ、どんな冬を迎えているでしょうか。