こころ、てくてく……表現するこころ

漫画家 海山かのんが、表現する人々のことなど、つぶやいたりマンガに描いたりします。

クヌート王子覚醒?....『ヴィンランド・サガ』

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アニメ『ヴィンランド・サガ』のキャラ達の運命が気になって、観続けているのですが、主人公と対になっているような、クヌート王子もまたハラハラさせる奴です。

 

少し内容に触れます。知りたくない方は回れ右でお願いします。

 

 

 

 

王子のどんな所がハラハラか、というと…

数回前放映された回で、彼は育ての親ともいえるお付きの爺やを失ったのですが、爺やは、父王から愛情も承認ももらえていない王子にとって唯一の心の拠り所であり、彼はいきなり心の瀬戸際に追い詰められました。

 

もう自分を愛してくれるものがこの世にない、と嘆く王子クヌートに、やはり付き従って来た神父が、諭すように囁きます。

 

爺やが王子を大切に思うのは、差別であって愛ではない、と。

 

神父はさらに諄々と宗教的見地から、まことの愛とはなにか、説き尽くし、

 

程なく王子クヌートの心は、奇跡的な転回を遂げることになります。

 

愛情を求めて地面を這いずっていた心が、一気に神の高みにワープし、救済者に変貌したのです。 

 

クヌートは、どうなってしまうのだろう。そんなジェットコースターのような変化に、心はついていけるのだろうか。

 

王子様、ほんとうの愛をこの世にもたらすのはそう単純ではないのでは? 愛と死を一気にくっつけるのは危なくないですか。だいたい凡人は生涯にわたって、自分に出来る、ささやかな「愛のようなもの」を限りなくミルフィーユのように積み重ねていくしかできないのでは? …などとオバサンはテレビに向かって思わず呟いてしまった。

 

宮沢賢治が、

「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」

とか、

「私は一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません。さういふ愛を持つものは結局じぶんの子どもだけが大切といふあたり前のことになりますから。」

などと書いていたのを思い起こしました。賢治もある意味王子様のような育ち方をしていると思いますが。

 

コミックスがもう沢山出ているので、クヌートのその後も描かれているのでしょうね。私はまだ未読で、アニメ終了後にまとめて読むのを楽しみにしているのですが…。